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典型的な出会い系

泣きが売りの文章の面白さ、基本でもあるわけだから。
勝ったときの話など、イヤ味になるだけ。 またいくらでもウソがつけるわけだから(といっても、私の場合はそれができない。
なぜなら、任され勝負で証人がいる。 即日記に書いて、本人に渡しているのだから)。
麻雀でも、常に私はそういう書き方をしている。 プロが勝つのは当たり前。
負けたことがネタになる。 話も面白くなるのである。
麻雀はツイているとき(本物のプロにツキなど存在しないが、説明上、そう書く)は、プ口でも何もすることはないのだ。 ツイていないとき(負けているときてどう打つか、プロのいや、その人の技量の見せ所なのである。
そして馬読みは結果論(負けたとき)の積み重ねである。 負けたときに、いろいろ勉強材料(反省)があるわけだ。

勝った(かっこいい)話はいくらでもある。 ましてフータローの身でいて・・。
そういう観点からすると、ネタ(資金)がないのだから少ないが、それでもこれから書くくらいのことはある。 『前回のさすらい』.馬読みスポンサーのテスト、一発回答。
ノアノハコブネのオークス単勝B800円、全財産500円しかないとき、500円買っている。 .競馬社長に勝負のゴーサイン。
社長、全財産買う。 初めて行った(連れて行かれたが、ハグレた)ポートで、7レース、パーフェクト勝ち。
負け惜しみに関する反論記述はここで終わっている。 最初、デス・マス調だった原稿、がダ・デアル調に変化している。
恐らく書きながら怒りがこみ上げてきているのだろう。 私も読みながら頭に来る部分もあったのだが、ここは冷静に次を読み進めていった。
原稿は、そのあと別の話題になったが、再びぼくのT評に関する「反論」に戻った。 1年前に『競馬王』で書いた、特集での何気ない一文である。
一般人であるぼくが、何気なく書いた一文は、Tにとっては大きな誤解だったらしい。 競馬王で「その日のカプセルホテル代を稼ぐため」という表現を使っていましたネ。

別にNクンを責めるつもりはありません。 ただ、あの表現は妥当ではなかった。
いや、違っています(怒っているのではありません)確かに、当てるため。 それはイコール勝つため、おカネを貰うため、おカネは生活するためのものだ。
競馬は200%バクチ、馬はバクチの道具です。 でも馬読みは「神聖」なるもの。
そういう邪心はまったく持っていません。 配当は結果、馬読みはまったく関係ないもの(だから昔、麻雀でも儲かったという気持ちは一度も持ったことがない。
よく人は言う。 儲かったネと。
アタマに来ましたネ。 勝ったという言葉は、私個人はいっさい使いません)ましてや、カプセルホテル代を稼ぐなんて考え、私には持ちようがない。

命は賭けるが、そういう俗っぽい気持ちはまった〈ありません。 だから言いましたネ。
「一獲千金を夢見るな」と。 そういう気持ち、やり方では勝てないと。
つまり、これも邪心は持っていないということです。 気取っているわけじゃない。
そうしなければ、そういう気持ちでなければ、勝ちきることはできないのです。 改めて書きます。
「一獲千金を夢見るな」という意味、意義。 一獲千金を夢見て馬券を買うと、次のマイナス面が出る。
ミキリがなくなる。 オッズに合わせて買う。
オツズが低いから嫌う。 オツズが低いから1点買いする。
オツズが高いほうを買う。 オツズが低いから買い目を多くする。

オッズに合わせて張り方を決める。 馬よりもまずオッズを見てしまう。
負け始めると、元を取ろうとオツズに合わせて買い始める。 楽しんでしまう。
遊ひの気持ちになる。 だから「ダルマ返し」もしたりする。
ネタをなくしたりする。 ネタを全部持っていってしまう。
儲けようという邪心が出る。 そうすると、馬読みにも影響が出てくる。
少ない勝ちに我慢できなくなってくる。 「負け惜しみ」に関する記述部分の抜粋である。
実はこの翌週、さらにその翌週にも反論記述が押し寄せたのだが、もうぼく自身が、打ちのめされてヘロヘロになってしまったので、割愛させていただく。 読んでいて正直、ホトホト疲れてしまった。
ぼくもパドック覚として競馬をやってきて、パドックで「見えた」馬をオッズに惑わされて買えなかったケースが多々ある。 そんなとき「なぜ、買わなかったんだろう」と悔しがってみるものの、所詮は結果論、馬券を買わなかった自分が悪いと、あっさり諦めてきた。

だから負けたレースに関して、あれこれ語るのは、無条件に負け惜しみと思って生きてきた。 だから、読んでいてホトホト疲れてイヤになったのだ。
しかし、これが不思議なことなのだが、Tの言葉は、ボディープローのように効いてくる。 繰り返し読んでいると、いかに自分が浅はかなニセモノであったかと、痛感させられるのである。
ぼくはTと出会う前から、競馬をギャンブルだと思って来た。 そして、勝つためにはパドックで馬を見る、ここぞというレースにドンと注ぎ込んで勝負を賭ける。
これしかないと思ってきた。 だからTの『馬読み』に出会って、素直に感動した。
しかし、Tと長く付き合い、日記や手紙で彼の勝負学についてのこだわり、実践経験についての話を読み込んでいくと、ぼくの納得など、所詮は「趣味の馬券師」としての理解にしか過ぎないということがわかってくるのである。 パドックで馬が見える云々のことに関しても、同じ「見える」でも次元が違う。
言葉では言い表せない能力が、Tには確実に存在している。 また、ぼくら趣味の馬券師は「見えたのに買えなかった」レースは、悔しさとして記憶に残っても、次のレースに生かされることなど、ほとんどない(一般人は反省すらしない)。
しかしTは、過去の反省材料を完璧に覚えているのである。 これは、恐ろしい記憶力と同時に、恐ろしい執着心ではないか。
勝負に対する執念が人並みではないから、記憶力も人知を越えたものとなる。 理論上、あらゆる反省材料をインプットしていき頭をコンピューター状態にしてパドックに挑み、そしてデータを引き出して完璧な「勝ち馬」を読み切る。

そうすればかなりの確率で勝てると思う。 しかしこれは「幻想」と紙一重の馬券術である。
いくら記憶力がよくても、その処理能力が問題となる。 一般の感覚では、いくら反省しても、それを勝ちにつなげる処理能力は、なかなか身に付かない。
しかし、Tはその「幻想」と紙一重の世界を「現実」として実践しているのである。 彼はよく日記や手紙に「馬の放つオーラが見える」とか「馬読みは透視の世界である」といった表現をする。
こういう書き方をするとオカルトチックになってしまって、さまざまな誤解を生むのだが(あるいはギャグと受け取る人もいるだろう)、実はT本人が高度なコンピューター頭脳だから気付かないだけの話ではないかと思うのだ。 彼の馬読みは、突き詰めればデータ主義」なのである。
経験に基づくあらゆる反省材料を、ギャンプラーとして天から授かった頭脳の中にインプットし、勝負のポイントごとに引き出していく。 そして、完璧にデータに合致した馬がパドックに姿を現したとき「馬が見える」のである。
素人なりに、科学的に『Tの馬読み』を読み解くとすれば、そうとしか考えられない。 それが一般人の世界に降りてくると「神業」と呼んでも不思議ではない「馬読み」になるのだと思う。

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